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当尾の石仏

当尾の石仏マップをダウンロードできます。
木津川市内東南部の加茂町当尾(とおの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び、念仏に専心したと伝えられています。やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。
浄瑠璃寺や岩船寺周辺は小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在し、多くの磨崖仏が造立されました。これらは道を行き交う人々を優しく見つめてくれる道しるべとしての石仏達です。
石仏は当尾の里の広範囲にわたり、散策コースの道中では旬の野菜が並ぶ吊り店(露店)など、四季折々の美しい山村の風景が楽しめます。
No.
俗称【製作時期】
説 明
1
浄瑠璃寺道丁石笠塔婆
【南北朝】
丁石は加茂の里から浄瑠璃寺まで1丁(約109m)毎に浄域に近づく際の笠塔婆で、鎌倉時代末期に建てられました。それぞれ上部に梵字が刻まれています。今は浄瑠璃寺参道の笠塔婆を含めわずか 4本しか残っていません。(No.1,4,6,10)
2
ツジンドの焼け仏
【元亨3(1323)】
西小三叉路近くの旧道に建っています。「ツジンド」とは「辻のお堂」のことでしたが、火災で焼失し、石仏も損傷を受けました。中央に阿弥陀如来、両脇に錫杖を手にした十一面観音と地蔵を従える堂々とした石仏です。浄土信仰と地蔵信仰が結合した所産です。
3

たかの坊地蔵
(西小地蔵石仏)
【鎌倉中期】

小さな石仏群の中の、舟形の光背の矢田型の地蔵尊です。風化してよく見えませんが、頭の周りには蓮弁の光背が刻まれています。錫杖を持たない姿のお地蔵さまは、一般的に古いタイプのものとされています。他の石仏群は室町時代のものです。
4
浄瑠璃寺道丁石笠塔婆
【応安6(1373)】
丁石は加茂の里から浄瑠璃寺まで1丁(約109m)毎に浄域に近づく際の笠塔婆で、鎌倉時代末期に建てられました。それぞれ上部に梵字が刻まれています。今は浄瑠璃寺参道の笠塔婆を含めわずか 4本しか残っていません。(No.1,4,6,10)
5
西小(にしお)墓地石仏群
【室町〜】
埋没や盗難などを防ぐため、かつては周辺に散在していた無縁墓や石仏が集められています。当尾では数多く見られる石仏群ですが、それぞれ小石仏ながらこれ程まとまった石仏群には圧倒されます。
西小五輪塔
【鎌倉】
重要文化財
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西小墓地入口の二基で、当初はこの墓地の総供養塔として建てられました。向かって左側の反花座は、側面を三区に分けた格狭間(こうざま)と呼ばれる装飾が入り、右側は反花座のみとなっています。どちらも重要文化財に指定されています。
6
浄瑠璃寺道丁石笠塔婆
【南北朝】
丁石は加茂の里から浄瑠璃寺まで1丁(約109m)毎に浄域に近づく際の笠塔婆で、鎌倉時代末期に建てられました。それぞれ上部に梵字が刻まれています。今は浄瑠璃寺参道の笠塔婆を含めわずか4本しか残っていません。(No.1,4,6,10)
7
長尾阿弥陀磨崖仏
【徳治2(1307)】
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美しい連弁の台座に座り、両手を腹部の前で∞形にした定印の阿弥陀です。1307年(徳治2年)からここで人々の往来見守ってきました。像の頭上に斜めに割れ目が走っていますが、後方の山から巨岩が続き、前面もコンクリートで固めているので、これ以上割れる心配はないそうです。
8
浄瑠璃寺道三体磨崖仏
【室町】
元は磨崖仏だったものを、府道拡張工事に伴い移動されたもので、その際一部が破損してしまいました。右側には錫杖を持った地蔵菩薩坐像が彫られています。
9
浄瑠璃寺奥ノ院不動明王磨崖仏
【永仁4(1296)】
浄瑠璃寺奥の院にあたるこの地には、かつて線彫りされた磨崖仏がありましたが、元々ひび割れていたこともあり数十年前の大水で大岩が割れ、滑り落ちてしまいました。水落ちで濡れた岩には、線状に刻まれている不動明王の痕跡が残っています。その後、丸彫りの不動明王像と矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子の「不動三尊」を祀っています。
10
浄瑠璃寺門前角塔婆(丁石)
【文和4(1355)】
丁石は加茂の里から浄瑠璃寺まで1丁(約109m)毎に浄域に近づく際の笠塔婆で、鎌倉時代末期に建てられました。それぞれ上部に梵字が刻まれています。今は浄瑠璃寺参道の笠塔婆を含めわずか 4本しか残っていません。(No.1,4,6,10)
11
浄瑠璃寺石鉢
【永仁4(1296)】
本堂前。形態から石臼であろうか。銘文が残っています。
浄瑠璃寺石燈籠(本堂前)
【南北朝】
重要文化財
典型的な六角型大和系の燈籠です。本来は本堂寄りにあったものを、後の改築時に現在の場所に移されたことが発掘調査により明らかにされたそうです。
浄瑠璃寺石燈籠(塔前)
【貞治5(1366)】
重要文化財
本堂前のものと同じ形式ですが、各部のバランスがよく、蓮弁などの彫刻にも優れ、この時期の名品とされています。
浄瑠璃寺六字名号板碑
【寛永2(1625)】
当尾でも比較的新しい江戸時代のものです。名号板碑とは阿弥陀如来像の代わりに「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻んだ石柱で、供養などで建てられました。
浄瑠璃寺石仏群
【鎌倉〜】
近年、西小坂口橋の架け替え工事で発見された五輪塔や石龕仏などが集められ安置してあります。石龕仏には、地蔵と弥陀と薬師、地蔵と十一面観音、弥陀と十一面観音などの組み合わせがあり、興味をひきます。
12
浄瑠璃寺赤門跡水呑み地蔵
【鎌倉中期】
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奈良から笠置、伊賀への古道が通る赤門跡にはかつて浄瑠璃寺の南大門がありました。錫杖を持つ姿のお地蔵さまは、火災に遭い風化も進んでいます。傍らには今も水が湧き出ています。
13

藪の中三尊磨崖仏
【弘長2(1262)】

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もと浄土院という塔頭の本尊であったと思われます。藪の中の岩に舟形の光背を彫りくぼめ、中央に地蔵と十一面観音、向かって左に阿弥陀を配する非常に珍しい配置の石仏です。作者は橘派の橘安縄、1262年彫刻とあります。
14
首切地蔵
(東小阿弥陀石龕仏)
【弘長2(1262)】
「釈迦寺跡」に建つこのお地蔵さまは、藪の中三尊と共に在銘石仏では最古のものです。「首切り地蔵」の別名は、昔処刑場にいたからといわれています。一時姿を消し都会に出ておられましたが、村人によって現地へ戻されました。
15
東小墓地六字名号板碑
【明応6(1497)】
当尾最大の板碑です。頂上に阿弥陀の種子「キリーク」が刻まれています。
東小墓地地蔵石仏
【元和6(1620)】
東小墓地の階段を上がると左に五輪塔と地蔵石仏があります。
東小墓地五輪塔
【鎌倉】
東小墓地の総供養塔。西小墓地の2基と同系で基壇の上に蓮弁台座があり、その上に五輪が乗っています。一部欠損がみられますが、当尾では岩船寺のものに次ぐ大きさです。
16
大門石仏群
【室町〜】
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竹藪の中や細い山道にあった石仏、石塔などを集めて安置しなおしたものです。双体仏や石龕仏、六字名号板碑や五輪板碑などがあり、変化に富んでいます。
大門墓地六字名号板碑
【天文21(1552)】
大門墓地に入って左手に名号板碑が建っています。極楽往生を願う念仏結衆の造立。墓地奥に、お地蔵様と並び、もう一基の名号板碑があります。
17
大門仏谷の如来形大摩崖仏
【平安末期】
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当尾の石仏群中、最大の磨崖仏です。像名に関して、阿弥陀如来、弥勒如来、釈迦如来などの諸説があり、まだ確定しきれていません。また製作時期に関しても奈良時代から鎌倉中期までの諸説があり、今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまです。かつては真下まで行ける道があったのですが、現在は草に埋もれてしまい、谷を隔てた道が拝所となります。
18
穴薬師
【鎌倉】
数枚の板石の石龕の中に、薬壷を持った薬師如来石仏が祀られています。向かって右に愛宕(あたご)燈籠が建ち、周囲には室町期の石仏が安置されています。耳病に効のある仏様です。
19
あたご燈籠
【江戸】
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三叉路に建つ形式にとらわれない変わり燈籠で、愛宕神は火の神様(火伏せ)を司っています。当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。同型の燈籠が、穴薬師の前と岩船の集落にもあります。
20
カラスの壷二尊
(阿弥陀・地蔵磨崖仏)
【康永2(1343)】
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一つの岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像が彫られています。阿弥陀仏の横に線彫灯籠は、火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられる珍しいものです。
カラスの壷
【康永2(1343)】
古くからの分岐点にあります。岩の中央に15cmほどの穴が掘られた礎石が粉を挽く唐臼に似ていることから「からすの壷」と呼ばれます。
21
わらい仏
(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)
【永仁7(1299)】
京都府指定有形文化財
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当尾の代表的な石仏の一つです。蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。永仁7年(1299)の銘文があり、上部の屋根石が廂となっているので、風蝕の影響も少なく保存状況は良好です。特に夕陽の中にたたずむ、やさしい微笑みをたたえた姿は微笑ましいものがあります。伊行末の子孫(と伝えられる)末行(作)
眠り仏
(埋もれ地蔵)
【南北朝】
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わらい仏の向かって左脇に、半身を土のお布団にくるまれて心地よくすやすやと眠るお地蔵さまがいらっしゃいます。眠りながらも右手には錫杖を持っておられます。わらい仏と同じ伊派の石工行経(作)か?
22
一願不動
(岩船不動明王立像)
【弘安10(1287)】
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ただ一つだけのお願いを、一心にお願いすれば、叶えてくださるという一願不動さん。高さ1.2mほどで右手には剣を持ち怒った顔をされています。(母親が子どもを叱るように、愚かな人間を叱っているそうです)
23
みろくの辻弥勒磨崖仏
【文永11(1274)】
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山際の巨岩に高さ2.5mほどの仏さまが線彫りされています。これは笠置寺本尊の弥勒磨崖仏(現在は焼失し、光背が残るのみ)をかなり忠実に模写したもので伊末行の作です。
24
三体地蔵磨崖仏
【鎌倉末期】
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旧道沿いの岩肌に、長方形の龕を彫りくぼめ、三体の地蔵菩薩が厚肉彫りされています。三体とも左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。過去、現在、未来をそれぞれ割り当てたもので、六地蔵信仰以前の地蔵信仰の一形態といわれています。
25
岩船寺門前石風呂
【鎌倉】
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山門の階段下に置かれています。ここで修行僧が身を清めたのでしょう。
岩船寺門前地蔵石龕仏
【南北朝】
門前左側にひっそりと建つ石龕のお地蔵さまです。
岩船寺五輪塔
【鎌倉後期】
重要文化財
反花座を持つ大和系五輪塔で、当尾では最大のものです。
岩船寺地蔵石仏
(厄除け地蔵)
【鎌倉後期】
堂内に安置されており、二重の光背を持ったお地蔵さまです。
岩船寺石室不動明王立像
【応長2(1312)】
重要文化財
寄せ棟造りの石室の奥に火焔を背負う不動明王が立っています。右手に剣、左手に羂索を持っています。眼病に霊験があるとされています。
岩船寺十三重石塔
【鎌倉中期】
重要文化財
大きな基壇の上に建つ十三重石塔で、各部の欠損もなくバランスのとれた重厚感ある塔です。初重軸部の四仏は梵字で表されています。千日墓地のものは仏像で表されています。
他に一石五輪塔(室町)や五輪塔(三重塔脇)(鎌倉)など
26
行者の背(岩船役行者石像)
【江戸】
山岳修験道の開祖、役小角(えんのおずぬ)の像が祀られています。
27
岩船地蔵石龕仏
【南北朝】
行者の背から観音寺跡へ向かう道の途中、左手に下がる道の突き当たりに、塔跡であったであろう広場があり、笠石の乗った石龕仏が安置されています。
28
岩船観音寺跡六字名号板碑
【永禄7(1564)】
かつて観音寺があった広場に建つ名号板碑は、斉講による造立です。
岩船観音寺跡笠塔婆
【室町】
金剛界の四方仏の種子を刻んでいます。室町時代のもののようです。
29
六体地蔵
(岩船墓地六地蔵石龕仏)
【南北朝】
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死者の霊が六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)に迷い苦しまないように、それぞれの道に地蔵菩薩が救いの手をさしのべてくれています。墓地の入口には六体揃った地蔵尊が祀られているのをよく見かけます。ここは1つの石龕に六体揃って彫られている珍しいものです。
30
大畑大福寺地蔵石仏
【永享13(1441)】
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現在集会所になっている大福寺の前の覆屋の中に安置されています。室町中期の在銘があります。
31
大畑墓地石仏群
【永禄2(1559)】
墓地移転時に、室町後期の名号板碑や石仏をこの場所に集積させ安置したそうです。
32
赤地蔵
(勝風墓地地蔵石仏)
【永禄8(1565)】
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勝風墓地参道に建つ、このお地蔵さまは室町時代の作で、とても優しい表情です。赤っぽい花崗岩でできているからか、赤=閼伽(あか…供養・功徳を意味する)からか、赤地蔵と呼ばれています。

迎え地蔵
(勝風墓地地蔵石仏)
【元亀2(1571)】

勝風墓地奥にあるお地蔵さまで、風化が進んでいます。棺を載せる台の前にある石仏は、受け取り地蔵・迎え地蔵と呼ばれ、このお地蔵さまもその一つです。
33
青地蔵・北向き地蔵
(勝風地蔵石仏)
【室町】
勝風墓地から集落に向かう道の左手、杉木立の下草に隠れるように建っています。赤地蔵に対し青地蔵と呼ばれ、青っぽい石のお地蔵様です。仏像が北向きに置かれることは非常に珍しく、地元では北向き地蔵と呼ばれています。
34
高去集会所六字名号板碑
【室町】
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高去集会所脇に3基の名号板碑が建っています。もと阿弥陀寺というお寺が建っていた場所で、板碑は斎講や念仏衆による建立です。
35
森八幡線刻不動明王・毘沙門天
【正中3(1326)】
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森八幡宮は、聖武天皇が恭仁京の遷幸宮の際、宇佐八幡宮を勧請したのが始まりとされています。拝殿右奥に、線彫りの不動明王と毘沙門天の二体の石仏が安置されています。また、「ズンド坊」の巨人伝説が伝わります。
36
ズンド坊の杖
(ズンド坊笠塔婆)
【鎌倉後期】
森八幡宮の裏手。笠塔婆に2つの龕が縦に並び、阿弥陀如来と地蔵菩薩が彫られ、非常に珍しい形式だそうです。周囲には小さな石仏が並んでおり、八幡宮の塔頭があったようです。ズンド坊伝説より、「ズンド坊の杖」と呼ばれています。
37
返り不動
(瀬谷不動明王石龕)
【室町】
「瀬谷不動」の道標を目印に山際の道を進むと、小さな祠が。その石龕の奥に安置されているのがこの不動尊です。火焔の彩色がよく残っています。
38
大蔵墓地種子十三仏板碑
(墓地入口)
【永禄6(1563)】
右下からジグザグに、不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観世音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿しゅく如来、大日如来、虚空蔵菩薩の13回の追善供養を司る仏様を表す梵字が並んでいます。同様の板碑が千日墓地にも見られます。
大蔵墓地六地蔵石仏
(墓地入口)
【宝永7(1710)】
十三仏板碑の左に並んで建っています。板碑の上半分に阿弥陀仏が浮彫りされていて、このような形式は当尾では珍しいものです。
大蔵墓地五輪塔
【鎌倉後期】
大蔵墓地の奥の方に建っています。大和系の造りです。
他に地蔵石仏、阿弥陀板碑(墓地入口)など
39
涼み岩
【--】
森八幡の神様が涼みに来られるという大岩。この上流は神聖域とされ汚れたものが渡ることは禁じられていました。
40
宝珠寺地蔵石仏
【明応8(1499)】
当尾小学校向かいの禅宗寺院。境内に五輪塔と石仏群があります。室町中期の在銘の石仏です。
宝珠寺五輪塔
【鎌倉】
鎌倉末期のもので、岩船寺のものよりやや小振りですが、地輪がやや高くなり、蓮弁台座に乗った重厚感ある五輪塔です。
41
辻地蔵不動明王磨崖仏
【南北朝・室町】
宝珠寺前の小道を下ると三叉路に辻堂があり、地蔵石仏と不動明王の磨崖仏が安置されています。地蔵像は舟形光背、錫杖、宝珠をもつ室町時代のものです。不動明王像は岩に彫られた小型の磨崖仏です。
42
金蔵院六字名号板碑
【大永6(1526)】
右に「三部経一結衆等敬白」、中央に梵字(キリーク)の六字名号 左に大永六年(1526)の年号が刻まれています。文字をはっきり読み取ることができる貴重なものです。境内には十三重石塔、石灯籠、宝匡印塔、地蔵石仏等が集められています。いずれも室町時代以降の作です。
43
千日墓地十三重石塔
【永仁6(1298)】
重要文化財
千日墓地入口すぐに十三重石塔が建っています。基段には、西側 阿弥陀如来、東側 薬師如来、南側 弥勒菩薩、北側 釈迦如来の4体の仏様が彫られています。

千日墓地阿弥陀石仏
(西側六地蔵)
【天正8(1580)】

彫りが鮮明で、「天正八庚辰(1580)十月十五日」の銘があります。
千日墓地双仏石
【南北朝】
当尾では最大の双仏石です。右に阿弥陀如来、左には地蔵菩薩が彫られた石龕仏で、屋根石、宝珠が揃っており、当初は扉が付属していたと思われる形跡があります。
千日墓地阿弥陀三尊石仏
【室町】
善光寺型といわれる1つの光背に阿弥陀三尊が彫られている石仏です。前には「南無阿弥陀仏」と彫られた六字名号板碑が建ち、左右に三体ずつ、六体のお地蔵さまが並んでいます。
他にも種子十三仏板碑、受け取り地蔵、五輪塔、石の鳥居など中世の石造物が豊富に見られます。
 
<参考文献:当尾の石仏めぐり(中 淳志 著)>
 
 
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