史跡 恭仁宮跡(山城国分寺跡)
加茂エリア今からおよそ1300年前、木津川右岸「瓶原(みかのはら)」(木津川市加茂町)に 「恭仁宮(くにのみや)」が造られ、わが国の首都となりました。往時の数々の遺構はロマンに溢れ、歴史の中心舞台であったことがしのばれます。
天平12年(740)10月、聖武天皇は平城京を離れ、伊賀、伊勢、美濃、近江などを行幸して、同年12月、恭仁宮(現、木津川市加茂町)に入り遷都を宣言しました。その後、天平16年(744)2月に難波宮への遷都が行われ、翌天平17年(745)5月には再び平城の地へ都が戻りました。
恭仁京の都としての期間は足掛け5年と短いものでしたが、その間、天平13年(741)には国分寺・国分尼寺建立の詔、天平15年(743)には大仏造立の詔、墾田永年私財法の発布があり、歴史上極めて重要な時期であったといえます。
昭和32年(1957)7月に国の史跡に指定され、平成19年(2007)2月には史跡名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」となり宮跡全体が守られています。
名称 | 史跡 恭仁宮跡(山城国分寺跡)(しせき くにきゅうせき(やましろこくぶんじあと)) |
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住所 | 〒619-1106 京都府木津川市加茂町例幣 |
Web | https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,28716,36,420,html |