木津川市は、近畿のほぼ中央に位置し、京都・大阪の中心部から約30キロメートル圏内にあり、京都府内では京都市に次ぐ数の国指定文化財や豊かな自然・里山など、先人から受け継がれてきた資源がある一方、最先端の研究機関が立地する「関西文化学術研究都市」中核都市でもあります。
また、全国的に人口減少が課題となる中、本市は、平成19年の市発足時から人口が1万人増加している街です。
(木津川市ウェブサイトから引用)
木津川市の地域では、3世紀ごろから木津川が交通路として利用され、淀川を通り大和と瀬戸内を結ぶ航路の起点にありました。奈良時代には、木津が平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港として栄えました。「木津」という地名は、それが由来となっています。
天平12年(西暦740年)12月には、聖武天皇が平城京から現在の加茂町の恭仁京に都を遷し、5年にわたって日本の首都となりました。
また、古くから都と関連の深い地域として発展した当地域は、近郊農業の地として発展する素地を築きました。
その後、この地域は奈良や京都、伊勢、伊賀を結ぶ街道の宿場町として発展するとともに、宇治茶やタケノコなどの主産地としての名声を高め、引き続き優良な農業地域として栄えました。また、江戸時代には木津川の治水事業や農地の拡大などが進められ、集落の発展も見られ、現在のまちの姿に近いものとなりました。明治時代になると木津川の水運としての役割は小さくなり、鉄道や道路の交通網の整備が進められました。また、茶の栽培や大都市近郊の立地条件を生かした近郊農業が盛んになりました。昭和26 年に旧木津町と旧加茂町が合併前までのかたちとなり、昭和31 年には旧山城町が誕生しました。
また、旧木津町において、昭和60年代以降、関西文化学術研究都市の建設が進められ、先進的な研究施設が立地するとともに、質の高い都市空間が整備され、京都、大阪、奈良のベッドタウンとして、人口が急増してきました。
平成17年4月に木津町・加茂町・山城町合併協議会が設置され、約2年間の合併協議を経て、平成19年3月12日に「木津川市」が発足しました。
- 恭仁宮 よみがえる古代の都
- 今から約1300年前、木津川右岸「瓶原(みかのはら)」の地に都が造られ、歴史の中心舞台となりました。その都の名は「恭仁宮」-くにのみや-
- 「恭仁宮」のパンフレットは「くにのみや学習館」で配布しております。 〒619-1103 木津川市加茂町岡崎考28番地
Tel.0774-76-9202
休館日/月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
および年末年始(12月28日〜翌年1月4日)
開館時間/9:00~17:00