木津川市にまつわる昔話

泉橋寺のお地蔵様

東大寺を建てていたころのお話です。木津川の水運を使って材木を切り出していました。水が多すぎても少なすぎても、材木はスムーズに運べませんでした。
ある年、雨が少なく笠置あたりで材木が止まり、水を堰き止めるかたちになってしまいました。下流の田畑は干上がる恐れがありましたので、大騒ぎになりました。そこで、行基様というお坊様におすがりすることになりました。翌日から行基様のご祈願が始まりました。そして満願の日、あっという間に大雨が降りました。みんなは喜びましたが、惨事も起こりました。谷間を流れる木津川の急流は激しい流れとなって、川の中で働いていた人を呑み込んでしまいました。行基様は自身の罪のように嘆かれ、お地蔵様を供養することになりました。そんなある日、行基様の枕元にお地蔵様が立たれ、「木津川を見守るために日本一の高さにしてほしい。立っているばかりでは疲れるので座らせてほしい」と言われました。翌日、行基様は言いつけどおり大きな石を木津川から取り出しました。
こうして作られたのが、泉橋寺のお地蔵様です。戦火や風雨があるのでお堂を作ろうという人もいましたが、「お堂が無いほうが木津川の流れが良く見えます」とお地蔵様がお断りになったそうです。

蟹の恩返し

昔、山城国(現山城町綺田)に観音様を厚く信じる農家の父娘がいました。ある日、娘は村人がとる蟹を哀れみ逃がしてやりました。またある日、父は田で蛇にのまれんとしている蛙を助けるのに「娘を嫁にやるから蛙を助けて欲しい」とうっかり言ってしまいました。その夜、立派な男性の姿をした蛇が娘を貰いに来ますが、「三日待ってくれ」と懇願しました。男性は一度、引き帰りました。
三日目、板を打ち付けた部屋の中で父娘は懸命に観音経普門品を唱え祈っていました。やってきた蛇は約束が違うと怒りだし、家の周囲で暴れました。しかし突然、その音もやみました。夜が明けて見てみると、家の周囲には蟹の鋏で切り裂かれた蛇の死体が転がっていました。その時に死んだ蟹と蛇の屍を葬り塚を作ってその上に観音堂を建てたのが、蟹満寺といわれています。現在、毎年4月に蟹供養がおこなわれています。

ならずの柿

平重衡(たいらのしげひら)は木津で処刑されました。
安福寺の近くにある「ならずの柿」は、そんな 重衡をしのんで植えられたものです。しかし、この柿の木には実がなりません。それで「ならずの柿」といわれ、何百年という歳月が流れました。
ところがある年、この柿の木に実がなりました。みんなで驚いて見物しました。しかし翌年は日清戦争となりました。それから10年、また柿の木に実がなりました。またみんなで驚いていると、翌年は日露戦争となりました。さらに二十数年後の昭和6年にもまた柿の木に実がなりました。これは太平洋戦争の前触れでした。
こうしてならずの柿に実がなると戦争がおこる、と言われるようになりました。 ※平重衡(たいらのしげひら)…平清盛の五男。平氏の大将として南都焼討で東大寺大仏や興福寺を焼亡したことは有名です。一ノ谷の合戦で源範頼・義経に敗れ捕虜となり鎌倉に送られます。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川で斬首されました。

狛の能面

昔、狛村の廻照寺では、能が演じられ、狛の祭りはとてもにぎわうものでした。狛の旧家に大きなけやきの木がありました。ある朝、その家のあるじが庭を散歩していると、そのけやきの木に何かがぶら下がっているのを見つけました。急いで庭番を呼んで確認すると、どうも能面らしいものでした。「なんと不思議なことだろう。これはきっと天からの授かりものに違いない」といいました。能をたしなむあるじはとても喜び、大切にしていました。
ところがある日、能の面がとられてしまいました。まわりまわって、その面は京の富豪の蔵に納められていました。その蔵からは、ふしぎと泣き声が聞こえるようになりました。なんと、能面が泣きながらうたっていたのです。
〽いのいの こまいの こまのまつりに とんでいの それからしばらくして、能面は狛にもどされたそうです。

ふしぎな箸

昔、加茂の村に三吉という愛敬のいい若者がおりました。
ある日、三吉が歯を痛がっていると、となりの作兵衛じいさんが、「白山神社へお参りしなさい。あそこは歯痛を治してくれると評判の神さんだから」といいました。三吉は返事はしたものの、梅干をかんでいればなおると思っていました。しかし歯痛は、いっこうにおさまりません。とうとう我慢できなくなった三吉は白山神社へお参りし、お供えしてあったねこやなぎの箸をもらって帰りました。そしてその箸でご飯を食べるうちに、ふしぎと歯痛はおさまったということです。

上池の鯉

昔、加茂の高田に貧乏ながら仲の良い老夫婦がおられました。ところがある日、お婆さんが病に伏してしまいました。それ以来、お爺さんは毎日、白鬚神社へお参りして「早く良くなりますように」とお願いをしました。そんなある日、お爺さんは近くの上池のほとりに座ってお婆さんの事を考えていました。すると、大きくて見事な鯉が浮き上がってゆっくり泳ぎました。「お婆さんに食べさせたら元気になるだろうなあ。お婆さんのためになってくれないだろうか」と鯉に話しかけました。すると不思議なことに、泳いでいた鯉はじっと動かなくなりました。お爺さんはありがたいことだと思い、大事に家に持ち帰り、お婆さんに食べさせようとしました。しかしお婆さんは「なんて見事な鯉だろう。食べるのはかわいそうだから池へ逃がしてあげましょう」といいました。この言葉を聞いた鯉は、ぴょんと跳ねて池の中へ消えました。池からとぼとぼと帰ったお爺さんは、家の戸をひいてびっくりしました。お婆さんは、元気に晩御飯の用意をしていたのです。顔のしわも取れ、すっかり若返っていました。
それを聞いたとなりの老夫婦も、上池に鯉を獲りに行きました。大暴れする鯉を無理やり取り押さえ、鍋で煮て食べようとしました。しかし不思議なことに、鍋の中には鯉どころか、水一滴ありませんでした。お婆さんは腰を抜かして座り込み、そのまま口も足も不自由になってしまいました。
それ以来、上池の鯉を獲る人はいなくなったといいます。上池の鯉は神様のお使いだったのかもしれませんね。

初めての木津川市 FIRST TIME KIZUGAWA CITY